ものづくりは、人づくり。
直接的で即効性のあるものが流行する現代において、時間をかけて深く考えられた”ものづくり”に出会うと心を強く動かされます。何を経験して、何を考えた結果、何が生まれたのか。心を動かすプロダクトは作り手の圧倒的な思考量から生まれます。
【クラフト×漫画】シリーズでモデルとなった、独立時計師・菊野昌宏さんと靴職人・三澤則行さんの対談を通じて、 ものづくりと”個性”について、お二人の視点や考え方を『1.選択と決断 』『2.ものづくりの醍醐味 』『3. “個性”とは何か』の3回に分けてお届けします。
目次
プロフィール紹介
菊野 昌宏
独立時計師 菊野 昌宏(きくの まさひろ)
1983年北海道生まれ。高校卒業後に自衛隊へ入隊。2005年に除隊後、時計の修理を学ぶためにヒコ・みづのジュエリーカレッジに入学。2008年に卒業後、研修生として教師のアシスタントをしながら自身の時計作りを始める。2011年3月に日本人初のAHCI(独立時計師協会)準会員としてバーゼルワールドに出展。2013年に日本人初のAHCI正会員となる。現在は母校のヒコ・みづのジュエリーカレッジで講師を行いながら、独立時計師として活躍している。
web: https://www.masahirokikuno.jp/
三澤 則行
靴職人 三澤 則行(みさわ のりゆき)
1980年宮城県生まれ。大学卒業後、東京・浅草での修業を経てウィーンへ。2011年に帰国後、都内に「MISAWA & WORKSHOP」を設立。現在はビスポークの靴作りに加え、2013年に開校した「THE SHOEMAKER’S CLASS」での講師業、2017年に立ち上げた「Noriyuki Misawa」ブランドでのアート靴の製作を行っている。2022年にはGLOBAL FOOTWEAR AWARDSで優勝し、世界的な評価を確立している。
web: https://www.noriyukimisawa.com/
独立時計師としての仕事
菊野昌宏の時計作り
菊野:初対面ですので、まず私が何をやっているかというところから説明すると、「機械式時計」と呼ばれる時計の、内側の構造部分から外側の見た目の部分までを一人で作っています。和時計改のスペシャルモデルとかは彫りを専門の方にお願いしています。
三澤:菊野さん以前に、そのような時計を作っていた人は日本にいたんですか?
菊野:独立時計師っていう小規模で時計を作る時計師っていうのが、日本には、私以前はいなかったとは言えないかもしれないけれど、そんなにメジャーな存在ではなかったです。一方で、スイスには時計師たちがいて、そういう高級時計を作ってきたという文化とか歴史があって、それを知って私もやりたくなって始めたっていう感じですね。
三澤:菊野さんの作られる時計と某有名メーカーの時計はどういった部分が違ってくるんですか?
菊野:作り方ですかね。部品の一つ一つがこの工房で作られてるってことなんですよ。
私も某有名メーカーも「機械式時計」を作っていますけど、部品の正確さだとか、時刻が正しいとか、防水性とか耐衝撃性とか、道具としての観点ではそちらの方が優れていると思います。あと、メーカーの時計は工場で部品が作られて、研磨とか調整がされて組立師が組み立てる、みたいに多くの人がかかわっているので「誰」が作った時計ではなく「メーカー」が作った時計という感じですかね。 独立時計師が作る時計というのは、作り手が個人として立っていて「誰」が作った時計かが分かる、そこが一番の違いです。
製作できる時計は年間に数本
三澤:某有名メーカーの時計ではなくて、菊野さんの時計が欲しいっていうお客さんは、どういった部分にピンときてるんですか?
菊野:おそらく個人が作っている時計が欲しいっていう感じでしょうか。作家というかアートに近いものとしての捉え方だと思います。
三澤:この一本作った時点でそれがもう世界に1つであり、部品から何から何まで全部がその人専用のものになっていると?
菊野:そういう感じです。特に私の場合は一本一本の注文を受けてから作るという感じで、お客様にパーソナライズされた時計を作るっていう意味では、ちょっと靴作りに似ているかもしれないですね。
三澤:1年に作れるのは一本か二本ってことは、もうなんなら何十年先までの注文を受けちゃってるってことですか?
菊野:いえ、2016,17年に受注したものが最後です。その受注分も去年納品したので、それ以降はフリーの状態です。
あまりスケジュールが埋まってしまうと身動き取れなくなるなぁとかも思ったりして、受注の再開もどうするか悩んでいます(笑)
三澤:これまではどのようにして受注してたんですか?
菊野:まずプロトタイプを作って、それをもとに注文を取ります。内側の基本的な構造は一緒で、外側のデザインだとか仕上げ方とか、そういうのはお客様とお話しして、お客様の哲学的なものを取り入れたり、好きなものを取り入れたりとか、そういうカスタマイズをするといった作り方です。
三澤:十年前ぐらいに靴メーカーの社長が冗談まじりでこんなこと言っていて、「年商1億円を目指すけど今年どうする?1億円分の靴を何百足・何千足作っていくか、それとも一足1億円の靴を作ってそれを販売するか。どっち?」と。菊野さんはこっち(一足1億円の靴を作る)をやってるのに近いじゃないですか。すごい世界ですね。
菊野:いやー、時計に関してはそういう文化があるからそれに乗ってるだけってのはありますね。個人が作った時計を高くても買いたいっていうマーケットが既にあるというか、それは後発で入ってきた人にとってはありがたいというか、そういった風に個人が作っている時計に理解があるコレクターの方も多いので。
三澤:菊野さんのような独立時計師さんというのは、スイスだとそこそこいるんですか?
菊野:そうですね。ただスイスでも、完全に一人でやるっていう人はあんまりいないですかね。工房やチームで作ったり、あとスイスは伝統的にパーツ単位で時計の部品を作ってる工場がいっぱいあるので、いろんなサプライヤーから部品を買って時計を作るみたいな、そういうスタイルでやってる人もいます。まちまちですけどね、ほとんど自分で作るっていう人も稀ではあるけど、いるにはいます。
なかなか時計だけを見ても、誰がどうやって作っているものかって、あんまり分からないと思うんですけど。掘っていただくと、日本のこんな場所で、こういう感じで、部品から一つ一つ作ってる人がいる、そこまで伝われば「それってすごいんじゃない?」「面白いんじゃない?」と、欲しいと言ってくれる人がいるってのは非常にありがたい世界ではあると思います。
設計から製造まで全部を楽しみたい
三澤:量産で何千本何万本のデザインとかプロデュースとかには興味がないんですか?
菊野:興味ないですねぇ、、、
三澤:なんで興味ないんですか?
菊野:めんどくさいんです(笑)
多くの人が関わると打ち合わせをたくさんしたりとか、自分の時間をいっぱい使うじゃないですか。それにバーってたくさんプロダクトが広がった時に、全部の面倒を見られるかというとやっぱり見られない。それをどこかにお願いしてとかってなってくると、どんどん自分とプロダクトとの距離が遠いものになっちゃう気がして。設計から製造まで全部やりたい人なので、数を作るというよりは、時計作りの全部のプロセスを楽しみたいんです。
三澤:もう本当に作ることが幸せで、なるべく他のことはしたくないという感じですかね?
菊野:ぶっちゃけるとそんな感じです。あんまり商売的にっていうよりはこの活動を続けて行きたいっていうのが一番です。それと身軽でいたいっていうのもあります。今すぐ気が変わったらパッとどっか行けるみたいな。
気になった時に気になったことができる、って新しいアイデアが降ってくる時の条件として大事だなとも思っていて、「これをやりたいのに、忙しくて出来ない」って状態は結構ストレスというか、何かすごいものを逃している感覚になってしまうので、身軽さは維持したいなと思っています。
三澤:靴と比にならないぐらいの時間かけて一本作るじゃないですか。それが自分の手元を離れるのは寂しくないですか?
菊野:個人的には寂しくないですね。
三澤:プロトタイプをご自身で持っているからですか?
菊野:それもありますけど、自分は作るプロセスを十分に楽しませてもらったので、あとはそのお客様の手元で楽しんでもらえよと。それとたまにオーバーホールとか、整備とか、メンテナンスとかで里帰りしてくるんで、その時にまた会えるからいいかな、みたいな感じです。
そもそもどうやって時計を動かすのか
三澤:機械式時計の動力って何ですか?
菊野:ゼンマイです。
三澤:機械式時計の作り方の「型」みたいなのは、存在してるんですか?
菊野:うーん、明確にこうだ、みたいなのはないですかね。
三澤:じゃあ人それぞれって感じなんですか?
菊野:だと思います。動かすのに必要な基本要素みたいなのがあるんですよ、ゼンマイがあって、歯車があって、一時間に一周するような歯数にして、、、みたいな。ある程度のセオリーはあるんですけど、どういう機械を使って、どんな手順でどこからやるのかとか、どんな機能をつけて、どのくらいの厚み・大きさにするのかとか、それはもうバラバラなんじゃないかなと。
三澤:菊野さんの場合、時計一本一本で構成が違っていて、前回このパーツで作ったけど今回は違うパーツで作るみたいなことが平気で起こってくる?
菊野:そうですね、共通するパーツもあるけどほとんどは共通しないもので構成されますね。
まるで暗闇を進むようなもの
三澤:こんな組み方で作れたのすごいな、みたいなのが楽しかったりもするんですか?
菊野:どちらかと言えば、こんなに複雑だけどこんな簡単に組めるように設計したぞ、みたいな。いかに作りやすく設計するとか、整備しやすいように設計ができたとか、そっちの方が嬉しいですね。
三澤:他の独立時計師さんは、設計やプロセスを公開されてないんですか?
菊野:製作のプロセスをオープンにしている人はそんなにはないですかね。
三澤:え、じゃあ暗闇の中を探っていくんですか?時計が動くところまで。
菊野:そうですね。自分の頭の中に、こうしたら動くはずだみたいなのがあって、それに向かって積み上げていって、ダメだったらちょっと戻って、じゃあこうしたらどうだろうみたいなのを繰り返して、最終的な形に持っていく感じです。
三澤:全然比較したら申し訳ないんでしょうけど、僕で言うとオーダーメイドの靴を作るっていうよりかは、全く新しい作品を作るっていう「今までに作ったことないような靴を作ろう、さてどうやって作ろう」っていうのが毎回時計で行われている感じですか?
菊野:うーん、まあだけどある程度セオリーがあるにはあるので、それをこの空間の中にどう落とし込むかみたいな。全く独創的な新しいメカニズムを考える時は大変ですけど、ある程度既存のメカニズムを自分なりにアレンジして〜〜、みたいな部分も結構あるので、完全に独創的で今までに無いデザインを作り出すっていう難しさとはまたちょっと違うかも分かんないですね。
二人の意外な共通点
夢中にならないと分からない世界
菊野:三澤さんの漫画とか、取材記事とかで拝見したんですけど、ヒップホップとかラップがお好きなんですか?
三澤:そうですね。今もオンラインで英会話のレッスンを受けていて、「ヒップホップ英会話」っていうんですけど。ヒップホップとかお好きですか?
菊野:結構好きですね。
三澤:今朝も英会話受けてきたんですけど、今日はナズのリリックを。
菊野:なるほど(笑)そういうの面白いですね。私も時計関係の英会話みたいなのがあったら出来るかもしれないな。
三澤:結構スラングとかもあって、使わないだろうってものも多いですけど、、、(笑)
菊野:ウィーンで修業されてたってことは、ドイツ語もできるんですか?
三澤:当時はですけど、今はもう完全に忘れてますね。
ちなみに時計の産地って、スイスでも「このあたりが有名」みたいな場所があるんですか?
菊野:フランス寄りの地域に固まってますね。なのでフランス語がほぼ時計業界の公用語みたいな感じになってます。
菊野:ヒップホップの入口というか、何がきっかけで知ったんですか?
三澤:大学1年の時に演劇部に入りまして、演劇の練習を仙台市の体育館でやることがあったんですけど、そこはガラス張りの入り口だったり、ガラスの窓がいっぱいあって、その前でダンサーが練習していて、その時に「え?何この音楽」って衝撃を受けてたんです。キャッチーだったので、全部覚えたんですよ。それをクラブミュージックが好きな友人の前で歌ったら意気投合して、それはあれだよ、これだよって感じで掘っていったのが始まりですね。それと、バイト先の先輩がDJをやってるのを見た時にかっこいいなって思って、テクニック重視のDJに魅せられてヒップホップに傾倒して行きましたね。その時期は、ありとあらゆるレコードを掘って、買いまくって部屋中にレコードがあるって感じでした。
菊野:当時買ったレコードってまだ残ってます?
三澤:レコードはまだあります。500枚くらい残ってると思います(笑)
菊野:すごい、財産ですね(笑)
三澤:その時に耳に才能がないってことに気づいて。時間かけてある段階まで聞き込んでいったら自分のものにできるんですけど、運動神経と同じようにすぐにいけちゃう人いるんですよ、いわゆる即興性です。パッと聞いてパッみたいな。それが僕にはできなくて。全部メモ書いて、これがこのぐらいの速さで、この時はこうして、みたいな。なんだか作業みたいになってしまって。それはそれでいいのかもしれないけど、ちょっと耳は無理だなって。
菊野:ある意味、そこで挫折というか、自分の限界を知ったというか。
三澤:そうですね、「能力って優劣あるんだ」みたいなのを突きつけられた瞬間があって。その時に「自分の能力ってなんなんだろう」って考えたのがちょうど就活のタイミングで、だからこそ、「自分はものづくり」っていうところに絞って考えられたってのはありますね。
菊野:若い時にそういうのに気づけるって大きいですよね。自分が何ができるのか、どんな可能性があるのかって、その選択肢を一つ「これはだめ」っていうのが分かっただけでも重大なことだったんでしょうね。でもそういうのって夢中になってみないと、「これはだめ」って気づくところまでいかないですもんね。
三澤:夢中になったら、「俺ってこういうタイプなんだ」みたいな、先輩とのタイプの違いみたいなものにも気づけてましたし、競争する中で気づいたこととかもありましたね。
食わず嫌いはもったいない
菊野:私も、運動とか体育会系のノリとかって本来はすごい嫌な人間なんです。でも高校を卒業してもやりたいことなんて全然分かんないし、逆に何も分かんないから「今まで苦手意識があったものをちょっとやってみよう」みたいなものもあって自衛隊に入ったんです。そしたら、体動かすのは嫌ではあるけど、やってるとそれなりに出来るようになってくるんですよね。それなりに走れるようになるし、筋肉もついてくるし。
三澤:私も菊野さんの漫画で読んだんですけど、すごいぴったりだったというか、自衛隊時代が全然ネガティブじゃなかったですよね。
菊野:そうですね、行ってよかったですね。結局、運動は好きになれなかったんですよ。でも自分の中で「嫌だけど一応やった」っていうのがすごく大きかったかなと思うんです。嫌なことでもやればそれなりに伸びるんだとするならば、じゃあより自分に向いているというか、好きな方向にいきたいって思えたのはいい経験でしたね。
自分の価値観とある意味真逆なことを体験すると、自分らしさというか、自分ってこういう人間なんだとか、こういうのが好きな人間なんだとか、嫌いだと思ってたけど意外と嫌じゃないなって思えたりとか、これまでと違った経験が出来たりするわけで。
体育会系のノリとかは好きじゃなかったけど、入ってみるとすごい楽しかったですし。飲み会とかも大嫌いで、「酔っ払ってる大人とか恥ずかしい」みたいに思ってたんだけど、いざ自分も輪に入って仲間とワイワイやってると、「めっちゃ楽しいじゃん!」ってなったりとか。食わず嫌いじゃないけど、若い時こそちょっと嫌だなって思って距離を置いていたものに近付いてみるっていうのは結構いい経験なのかなって思いましたね。
おわりに
PART2では、個人の作り手だからこそ出来るものづくりについて、そしてPART3では、看板を背負って世界で活躍するための”個性”についてお届けします。
菊野さん、三澤さんがそれぞれモデルとなった漫画作品もぜひご覧ください。
刻の重なり〜独立時計師 菊野昌宏の軌跡〜
世界でも数えるほどしか存在しない、独立時計師。
自らの名を冠し、ひとつひとつを手作業で作り上げる稀代の時計職人たちである。2013年に日本人初の独立時計師となった菊野昌宏の時計は、もはや芸術品の域に達しており、ついつい時間を忘れるほど見入ってしまう。
その知識や技術を独学で身に付けてきた菊野は、ネジや歯車さえも自ら設計し、神を細部に宿らせる。大量生産が可能なこの時代になぜそこまで手作業にこだわるのか、菊野昌宏を紐解いていく。
靴のカタチ〜靴職人 三澤則行の軌跡〜
靴のカタチの探究を続ける、靴職人・三澤則行。
今年、世界53か国の靴のブランドやクリエーターが参加した、靴の国際コンクールGLOBAL FOOTWEAR AWARDSで日本人初のBEST OVERALL WINNER(総合優勝)を果たした。
気分の上がる履き心地を目指し「靴の機能美」を追求する世界的ビスポーク職人でありながら、靴のフォルムは保ちつつも履くという機能に捉われない「靴の造形美」を追求するアーティストでもある。 そんな矛盾をひとりで抱えながら活動を続ける三澤則行を紐解いていく。